「患者さんの心を信じて」
医療者の心のダイヤモンドを輝かせる遺族の経験から、皆さんにお願いしたいこと

なんで、ここ(処置室)に入れてんの?家族は外に出しとけよ!」

これは10年前、私の愛するわが子の心肺蘇生のために、呼ばれたドクターが看護師に向けて発した言葉です。 チラリと私の方を見ながら、それでいて私には声をかけず、看護師に指示するドクター。 この人から見たら私は、生ゴミ程度の存在なのだろうなと思いました。 指示を受けた若手の看護師が、「すいません。処置するんで、外に出てください」と、私と上の子をおんぶした夫に言いました。ドクターと看護師のただならぬ様子に驚き、泣き出した娘をあやすため、夫は外に出ていきました。 私は、その場を動くことができませんでした。     「家族の方は廊下でお待ちください」…私も看護師として何度となく、口にしてきた言葉でした。看護の授業でも、実習でもそう教えられてきたからです。そもそもなぜ、家族はこんな大切な時間を、患者本人と共有できないのでしょうか。 目の前で処置を見るショックから家族を守るためでしょうか。家族に遠慮し、診療行為に影響が出るからでしょうか。 または、判断ミスを指摘されるなど、訴訟問題を回避するためでしょうか。度も看護師が言い、私が断る。そんなやり取りを5回ほど繰り返しました。  

師長とのやり取

「この子は私が産んだ子です。私にはここにいる権利があります」私は言い切りました。説得に困った若手の看護師は、師長を連れて来ました。 私は師長さんに「私は元看護師です。取り乱したりしませんからここに置いてください」と何度も何度も訴えました。 「困ります」と言う師長さんに「今、自分の子どもが死にそうで一番困っているのは私なんです。あなた方は医者から怒鳴られたら困る、と思っているだけじゃないですか!?」と食ってかかりました。   私の心の叫びが通じたのか、師長はゆっくりうなずき「あなたも看護師なら、今の状態は分かるわよね。あなたのお子さんは、今から一生分の親孝行をしていくんだから、よく見ててあげなさい」と言いました。そして、「私は職業上、ドクターの前では『外へ出て』と、あなたに言わなきゃならないからね。あなたにも分かるでしょ」と外来の隅っこに立っていた私に、ドクターが座る少し上等ないすを持って来てくれました。

別れの決意

私は、師長の言葉で「ああ、この子はもう、ダメなんだな」と、しいけれどお別れの決心をしなくてはならないのだと思いました。 4カ月という小さな身体への心臓マッサージを見ながら、「こんなに痛い思いをしなくちゃならなくて、ごめんね」と涙がこぼれました。 再びドクターが「家族、外に出してよ」と言うと、師長さんは厳しい口調で「先生、この人すべて分かってここにいるんだよ。訴えたりするような人じゃないんだよ!」と言ってくれました。その言葉を聞いた時、決心がつきました。 もう私にあきらめがつくのを待つだけとなった蘇生術に「もう、十分です。皆さん、ありがとうございました」と感謝で幕を引くことができました。   

信じる気持ちは人の心を輝かせる

師長は、私を信じてくれました。「この人は訴えたりするような人じゃないよ」…この言葉で、私は悲しい現実を受け入れることができたのだと思います。 私は人の心はダイヤモンドなのだと思うのです。 確かに人生の荒波を渡る途中では、悲しみや苦しみという砂や泥が付着し、輝きを失ってしまう時もあります。 しかし本来は光り輝くダイヤモンドなのです。 師長さんの私を信じる気持ちは私の心から「感謝」を引き出してくれました。 人を信じるという力は強力で、ダイヤモンドの汚れを一瞬で洗い流し、再び輝かせることができます。     私は、人は不幸のどん底と悲しみの中にあっても「感謝ができる」ものだということを知りました。人はそれほどまでに輝く力を内に秘めているのだと、実体験を通して思います。 そして、その輝きは人が引き出すことができるものだと思うのです。 私はドクターの指示が悪い、ということを言いたいのではありません。家族は処置室に入れるべきだと訴えたい訳でもありません。 医療不信がはびこる世の中になり、訴訟を恐れ、患者を恐れる。医療者はリスクから自分の身を守ることで精いっぱいになってしまいました。 私はこの時の師長さんを一生忘れないと思います。 表面上のやり取りは、リスクも負わない代わりに深い信頼関係も結べず、味気ないものとなります。 相手を極度に恐れる気持ちは、相手の不信を呼び、悪循環をつくります。 どこかで、不信の連鎖を断ち切る勇気が必要なのです。

医療者は人を信じる人であってほしい

私が皆さんに伝えたいことは、医療者はやはり、患者さんを「信じる人」であってほしいということです。 確かに、良かれと思って親切に対応しても、アダで返ってくるようなこともあ ります。 医療者に不信をぶつける患者さんとのトラブルに巻き込まれてしまうことだってありますが、それはごく一部の人たちです。 大抵は、真心で接すれば同じ気持ちで応えてくれる人々がほとんどです。 ダイヤモンドは宝石の中で最も硬くて強い石です。ですから、砥石ではダイヤモンドを傷付けることはできません。 患者さんの不満は砥石です。砥石でこすっても、表面の汚れだけが削られて、ダイヤモンドはさらに輝きを増すだけです。     苦しい時、人は理性を失います。私が師長に食ってかかったように。しかし、師長は私を恐れませんでした。 彼女の人を信じる強い気持ちは、私の心の中から感謝を引き出しました。 どんなに荒れている患者さんであっても、その心はダイヤモンドであると信じきる看護師であって欲しいのです。 「信じてくれる人を裏切ることは難しいことです」患者さんを信じようとする時、看護師の心は最高に光り輝きます。 皆さんはその感覚が心地良いからこそ看護の道を選んだのではないでしょうか。 皆さん自身の心の輝きで、患者さんの心を照らし続けていく時、“心ある未来の医療の姿”がそこにあるのではないかと思います。
奥山美奈
奥山美奈
看護師、高等学校教諭(看護)を経てTNサクセスコーチング(株)を設立。管理者教育から採用プロジェクトチームの指導、人事評価の構築などの組織の課題をまるごと解決するマグネット化支援を行う。現職の管理職を、人を育て組織の経営課題も解決する「院内コーチ」へと昇格させる「コーチ認定制度」は奥山オリジナルプログラム。認定者のその数300名。ソフトテニスで3度の国体出場、2013年度マスターズ全国大会準優勝の経験から提供されるコーチングは圧倒的な成果を産んでいる。書著5冊。連載、講演多数。エルゼピアジャパン「上手な叱られ方」「医療にとって本当に必要な接遇とは何か」e-learning講師。S-QUE「訪問看護」e-learning総合監修。
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