【遺族の体験から・2】チームとは何か。
本物の「チーム医療」を目指して

「解剖してもらおう」錯乱寸前で警察に連れていかれたの夫の後ろ姿を見ながら決心しました

速斗の鼓動が止まるのを確認し、夫と私は診察室に呼ばれました。   ドクターは、「窒息死の疑いも否定できないので死因を確定したいなら解剖が必要。ご夫婦で相談してください」と言いました。   ドクターの言葉を聞くなり夫は診察室の外に飛び出して、待合室の壁に頭をガンガンたたきつけて血を流しながら「俺が速斗を殺してしまった。」と叫んでいました。解剖するかしないかなんてとても相談できる状況ではありません。   速斗が亡くなった日、私は乳腺炎で受診するために病院へ向かっていました。午前中、夫に休んでもらい子供たちを見てもらっていたのです。   夫は上の子を昼寝させていたら自分もウトウトしてしまった、途中で速斗が泣いた気がしたけれど、そのうち眠るだろうと様子を見に行かなかった。しばらくして見に行ったらうつ伏せになって布団をかぶって真っ青で息をしていなかった、ごめん。俺のせいなんだと、救急車の中で私に打ち明けてきました。   私は「この子は絶対死んだりしない」と信じていたので「誰が見ててもなるときはなるよ。大丈夫。この子は絶対助かるから」と、むしろ夫を励ましながら病院へ行きました。   こんな経緯があり、彼はドクターの言葉で錯乱状態になったのでした。「まだ、あったかいのにこんな小さな体にメスを入れるなんて、、、」相談しようとすると、救急外来の外で待っていた警察官2人に第一発見者である夫は連れていかれました。事情聴取のためです。   私は「ああ、今は、自宅で亡くなっても救急車を呼ぶなって言うよな。こんなふうになるからなんだ。」と、なぜかひどく冷静に考えている自分がいました。   「解剖してもらおう」錯乱寸前で警察に連れていかれたの夫の後ろ姿を見ながら決心しました。   結婚生活は、喧嘩も多く決して仲の良い夫婦とは言えませんでしたが、目の前の夫を見て「こんな犯罪者のような気持ちでこの人は、この先の人生を生きてはいかれないんじゃないか」そんな気持ちが強くありました。   救急外来で師長さんは速斗が寒くないようにかオペ室の緑色の圧布をおくるみみたいにしてくるんでくれていました。「速斗くん、よくがんばったね。お母さんところに帰ろうね」と声をかけて私に渡してくれました。   その病院では解剖ができなかったので近くの大学病院に行くことになりました。

事務的だと思っていた事務の人々。本当はそうじゃなかった

受付の女性に診断書をもらおうとしたとき、受付の人の手がブルブルと震えているのに気がつきました。とっさに私は、この人は私の事をかわいそうにと思ってくれているんじゃないかと思いました。   受付の人にすれば1時間前には「救急車入ります」という電話があり、ちっちゃい子がバタバタと入ってきたと思ったら蘇生はできず、男親は待合室で泣き叫びながら警察に連れていかれ、目の前には亡くなった子供を抱きかかえながら診断書をもらおうとする私がいるわけです。   ドラマのワンシーンならともかくびっくりしたのだろうと思います。看護や介護の立場の人はこうしたとき、気の利いたひと言を言うこともできるでしょう。でも事務の人は事務をするしかありません。   もう亡くなっているので「お大事にどうぞ」も変ですし、介助したわけでもないので「がんばったね」もおかしい。言葉にならない、言葉にできない。そんな複雑な心境をこの受付の女性の震える手が物語っていたように思えました。   封筒をもらって駐車場に行き息子を助手席に乗せて病院を出ようとすると、先ほどの受付の女性が外に立っていました。さっきは姿を見かけなかった男の人たちも数人出てきて私の車に向かって深々とお辞儀をして見送ってくれていました。   腕に黒いアームカバーをして手には指サックをしたまま。きっと急いででてきたのです。私はその姿を見たとき涙が止まらなくなりました。   外に出ろという医者、意見のひとつも言えない若手看護師。「こんな病院、訴えてやる!」そんなふうに思っていた氷のような私の心を、事務の方々は一瞬で溶かしてくれました。   きっと誰かが「奥山さんの車、見送ろう」と声をかけてくださり、事務室の中からたくさんの人たちが事務の手を止めて急いで出てきてくれたのでしょう。   このシーンを思うとき、「チームとは何か」を考えずにはいられません。   正直なところ私は看護師時代、一緒に働いている事務の人たちにいい印象を持っていませんでした。   患者さんが急変してバタバタでやっとの思いで勤務が終わったのに「残業をつけるな」だとか、「この請求がもれていた」だとか、一生懸命に患者さんの看護をしているのにそんなことは理解せず、細かいことを言ってくる事務的な人たち。そんなふうに事務の人たちを思っていました。   なので私は息子が亡くなったとき、事務の方にはあまり期待をしていなかったのだと思います。   同業者は同業者には厳しくなるものです。また、期待値は高ければ高いほど、裏切られたときにはがっかりします。   私は若手の看護師に患者さんのためならドクターにでも意見をいうべきだと不満でしたし、オペ室の圧布でなくて産科に行けばバスタオルのひとつもあるだろうにと、看護師の対応にがっかりしていました。   事務の方々には期待値が低かったせいで、逆にこのお見送りの対応が心に染み入ったのかもしれません。

本物の「チーム医療」とは

私は仕事上、いろんな患者さんのお話を伺いますが、受付や診療、看護に薬局など、すべてのシーンでの対応がよくないとき「あの病院はよくない」とクレームになるものです。   患者さんはラインで看ている、つまり「チームで看ている」というあり方が大切です。それならラインのどこかでよくない対応があってもどこかの部署でカバーができます。   誰かがリードし本当の意味での他部署連携で極上の医療の提供をめざす。   患者さんやご家族が求めているのはこうした本物の「チーム医療」の姿であると、私は自分自身の経験も含めて思います。
奥山美奈
奥山美奈
看護師、高等学校教諭(看護)を経てTNサクセスコーチング(株)を設立。管理者教育から採用プロジェクトチームの指導、人事評価の構築などの組織の課題をまるごと解決するマグネット化支援を行う。現職の管理職を、人を育て組織の経営課題も解決する「院内コーチ」へと昇格させる「コーチ認定制度」は奥山オリジナルプログラム。認定者のその数300名。ソフトテニスで3度の国体出場、2013年度マスターズ全国大会準優勝の経験から提供されるコーチングは圧倒的な成果を産んでいる。書著5冊。連載、講演多数。エルゼピアジャパン「上手な叱られ方」「医療にとって本当に必要な接遇とは何か」e-learning講師。S-QUE「訪問看護」e-learning総合監修。
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