「老人は敬われるべき」と主張する高齢者への対応術 | 暴言・暴力を生まない現場の「認知のゆがみ」と「あり方」の転換
2025.11.24
困った高齢者に見る「信念」と「ワガママ」の決定的な違い
高齢者からの暴言や暴力といった困った行動の背景には、単なる「わがまま」ではない、その人の人生観や時代背景が強く影響している場合があります。ここでは、筆者が経験した二つの事例を比較し、対応が大きく変わる「信念」と「ワガママ」の違いについて解説します。
時代背景が生んだ「公を感じる信念」を持つ高齢者
筆者が看護師だった頃、男性の言う事しかきかない高齢の患者が入院してきて、困ったことがあった。とにかく「俺は、戦争で一等兵として国を守ってきた。」という自負の強い人で、とにかく上官の命令にしか従わない。男性でも「優しくよりそいます系」の人の言う事はまったく聞きいれず、特に女性が「トイレ行きましょうか」などと介助しようものなら、「貴様、女のくせに何をしよるか!」と、暴言・暴力をふるう。まったくもって困った患者だった。現代のようなジェンダーレス社会ではとうてい生きていけないほどの「女性蔑視」の持ち主。
しかし、この患者は体の大きい男性看護師や医師の指示にはすんなり従うという特性もあり、勤務帯に強面の男性がいれば、ある意味、対処が可能だった。夜間、廊下を徘徊しようものなら、すかさず男性看護師が詰め寄り「我は曹長であるぞ。一等兵は基地へ戻れ。」と命令すれば「ご無礼仕りました」と、さっさと部屋に戻っていく。
では何が大変だったのかと言うと、今でこそ男性看護師が病棟にいるのはめずらしくなくなったが当時は希少で、病院に数人しかいなかったため、勤務の調整が大変だったのだ。彼がいないときは女性看護師が声色を変えたり、テープレコーダーに男性の声を録音しておき、それを流したりしながら対処しなければならなかった。その患者からは、夜勤をしていると「女のくせに夜遅くまで出歩くな、早く家へ帰れ。」と怒鳴られたりもしたが、「女子供は、俺たち男が守らなければならない」といった信念を感じ、「そういう時代を生きてきたんだよなぁ」と、なんとなくだが私は、その患者を許せた。
時代背景は個人の信念に大きく影響を及ぼすものだと理解ができるからだ。
受け入れがたい「特別扱い」を求める高齢者との違い
許せなかったのは「老人は敬うべきだ」とか「自分は特別扱いされて当然なのだ」と主張し、意のままにならないと大声を出したりする患者だった。両者の違いは何かというと、「公を感じるかどうか」というところではないかと思う。前者の女性蔑視患者はたとえ暴言を吐いて暴れたりしても「女子供を守り、国を守る」という男気を感じられるが、後者はただのワガママにしか感じられない。もちろん老人を敬うことは大事だと思うが、敬われる側から強制されるのは何か違う。日本は思想も言論も自由なのだから、個人の価値観を押し付けられてもね、と嫌悪感を抱いていた。「自分は特別扱いされて当然なのだ」についても同様で、私の平等観に反するので大目に見てあげられなかったのだと思う。
暴言・暴力を誘発する高齢者側の「認知のゆがみ」と現場の対応失敗
「ワガママ」に見える高齢者の主張の裏には、特定の「認知のゆがみ」が隠されています。そして、この「ゆがみ」を理解せずに対応しようとすることが、かえって暴言や暴力を引き起こしているのです。ここでは、高齢者側の認知のゆがみと、現場でよく見られる対応の失敗例について解説します。
「~すべき思考」と「決めつけ」としての認知のゆがみ
後者の高齢者の言い分が鼻につく理由は、本連載の2回目でご紹介した「認知のゆがみ」によるものと筆者は考えている。「敬うべき」は認知のゆがみの7番「~すべき思考」であり、「特別扱いされて当然」は6番の決めつけである。認知のゆがみとは考え方のクセのようなもので自動思考とも呼ばれ、人の感情を大きく揺るがす。つまりこれらの考え方のクセを持っていると人が自分の思いどおりに反応しないと、カッとなりそれが暴言としてあらわれる。暴言として表現ができないときには暴力につながってしまうと筆者は見ている。
介護者が「否定」や「命令」をしたときに暴力は起こる
もちろん易怒性が高まるのは認知症が進行したり、老人性のうつが根底にあったり、病状に対して的確な処方がなされていないことが原因だったりもする。思考のクセによるものばかりではない。だが、現在、筆者が顧問として関わっている療養病棟や高齢者施設に入居している高齢者の暴言・暴力の発生シーンを分析すると「認知のゆがみ」発言が多い高齢者の言動を、無意識に介護者が否定したり、彼らに命令をしたりしたときに起こっている。
「老人は敬うべきだ」という考えに捉われている高齢者に「○○さん勝手に立っちゃダメでしょ!」とか「おやつはトイレ行ってからでしょ」なんて命令をしたり取引きをしたりする人はボコッとやられてしまう。
また、「自分を特別扱いすべき」という思いの強い高齢者に「順番守らないとダメじゃない」などと「高齢者の認知のゆがみを正したい」と思って接する人も暴言・暴力を受けやすい。
スタッフの「決めつけ」が善意を見落とす
先日も車いす移乗の介助時、看護師が高齢者の足をフットレストに乗せようとしたその瞬間、髪の毛をわしづかみにされて転倒させられるということが起こった。同室で他の高齢者のケアをしていた暴言・暴力を受けることがない介護士に様子を聞くと、車いす移乗をする直前にその高齢者が立ち上がろうとしていてしたのを「ちょっと、勝手に立たないで」とその看護師が高齢者を頭ごなしに否定していて、それを根に持っていたんじゃないかと話してくれた。その高齢者の目線の先には紙くずが落ちていたのでその介護士は「〇〇さん、もしかしてあのゴミを捨てようとしてくれたんですか?」と聴くと「そうだ。気になるから。」と高齢者は答えたという。その高齢者は「ゴミをすてようとして」立とうとしたのだ
介護士曰く、認知症が進んで何もわからなくなったように見える高齢者の行動にも、今回のケースのように「必ず理由がある」という。そしてその理由は、結構「良いこと」だったりするそうだ。相手を「暴言・暴力のある患者」と限定して見てしまうと、そうしたことに気づけない。
暴言・暴力を生まないケアの鍵:「性善説的なあり方」と「見守る技術」
暴言・暴力を受けない介護士の対応には、共通した「あり方」(マインドセット)と「技術」があります。ここでは、成功事例に見る高齢者との関係性を改善する具体的な姿勢と、業務時間の使い方における重要な違いについて解説します。
「良いところを引き出す」性善説的な「あり方」の導入
そういえば、この介護士が高齢者のケアをしているときは、よく「〇〇さん、ありがとうございますね。」と言っている。相手の「良いところを引き出そう」というこの介護士の「あり方」が、高齢者との関係性をよくしているのだと筆者は思う。立ち上がろうとした患者に「○○さん、ゴミを捨てようとしてくれてるんですね、ありがとうございます。」間違って他患の部屋に入ろうとしているときには「○○さん(間違われた部屋の患者の名前)を『食事きたよ』って、ホールに誘ってくれるんですね、ありがとう。助かります。」という具合に、その介護士は「相手が良いことをしようとしている」という前提に立って高齢者と接する。なので、この介護士の周りは「ほんわかとしたムード」になる。この人が育てた新人も同じようなケアができるようになっているので、これは「高齢者ケアの技術とあり方」なのであろう。
「見守る時間」を含めた業務時間設定という技術とカリキュラムの課題
暴力を受けた看護師とこの介護士の高齢者ケアの違いは大きくは2つある。1つ目は前述した「人の言動には必ず理由がある」と高齢者の言動の動機を知ろうとするところと、「良いことをしようとしているのかもしれない」と人を見る性善説的な「あり方」である。 2つ目は、車いす移乗のケアにしっかりと「見守る時間を含めた業務時間の設定をしている」ところだ。「見守る」という概念があるからこそ、「ゴミを拾いたいのではないか」というところに気づける。また、できるところはやってもらうという相手の残存機能を活用するケアができる。筆者は元看護師だが、「見守る」ということがなかなかできない。車いす移乗も「さっさとやってしまいたい」のが本音だ。だから過剰介護になってしまう。暴力を受けてしまった看護師もきっとそうだと思う。筆者は看護師、介護士のどちらも育成しているのだが、このケアの違いはカリキュラムの違いに起因しているとも思う。
現場のリーダーへ:こちらの「認知のゆがみ」を手放し、組織を変革する
暴言・暴力のある高齢者に対し、スタッフ側が「暴言・暴力のある患者」と先入観を持って接することは、スタッフ自身の「認知のゆがみ」(決めつけ)です。この先入観を手放し、成功事例を組織のスタンダードとするための管理者としての姿勢と、組織改善の必要性について提言します。
スタッフ自身の「決めつけ」を手放す必要性
「暴言・暴力のある高齢者」「特別扱いされたい人」という先入観をもって人を見てしまうと良いところが引き出せない。そして、その見方は6番の「決めつけ」で、こちら側の「認知のゆがみ」でもある。だから手放すことが必要だ。なかなかハードルは高いが、今回ご紹介した暴力を受けない介護士のケアと高齢者を見る「あり方」をモデルとしたい。コーチングの世界にも「健康な側面に目を向ける」というスタンスがある。防衛反応が働くとどうしても人は身構えてしまうというとこがあるが、「高齢者の良いところを引き出す」という姿勢を保てるような医療者になりたいと筆者は願う。
そして今、あなたの病院スタッフは「熱湯」?「水風呂」?「ぬるま湯」?
職域を超えて「本来の看護(ケア)」ができる人材がいる一方で、現場にはスタッフの患者への対応に悩む管理者様も多いのではないでしょうか。
私はよく、組織の人材を「お湯」に例えてお話ししています。
「熱湯の看護師」:本質を求めすぎて、すぐに燃え尽きたり、辞めてしまう。
「水風呂スタッフ」:「それは私の仕事じゃありません」と線を引き、給料分の仕事しかしない(サボってしまう)。

熱湯と水風呂が混在し、組織全体が「成長のないぬるま湯」になってはいませんか?
「なぜ、優秀な「熱湯」スタッフから辞めていくのか?」 「どうすれば「水風呂」スタッフの温度を上げられるのか?」
そのヒントは、まず現状の「温度分布(貴院の状態)」で可視化することから始まります。 本来の看護ができるスタッフを育てたい方は、まずは奥山にご相談ください。





